カメラ・オブスクラの原理カメラ・オブスク...

観光用カメラ・オブスクラ


かつては観光地に大きなカメラ・オブスクラを作って観光客用のアトラクションとした場所もあった。高い建物の中に暗い部屋とレンズを設け、外の世界の動くパノラマが手もとの水平な画面に映し出されるようになっており、直接外の世界を見るよりもより鮮やかに生き生きと動いて見えることから人々に人気があった。現存する数少ない例では、イギリスのブリストルやエディンバラなど各地、南アフリカ共和国のグラハムズタウン、ポルトガルのリスボン、キューバのハバナ、サンフランシスコなど北米の各地、ほか世界各地に大型カメラ・オブスクラがある。

日本では、東京ディズニーシーのフォートレス・エクスプロレーション内に「カメラ・オブスキュラ」の名前で設置されている。http://www.unisys.co.jp/fortress/camera.html

カメラ・オブスクラの歴史


カメラ・オブスクラの原理は古代より知られていた。10世紀から11世紀にかけてエジプトなどで活躍した数学者・哲学者イブン・アル・ハイサム(Ab? ‘Al? al-Ha?an ibn al-Ha?an ibn al-Haytham、965年 ? 1040年、イラク・バスラ生まれ)は光学の発展に大きな足跡を残したが、彼がカメラ・オブスクラの研究もしていたという説がある。

カメラ・オブスクラが絵を描くための装置として芸術家の間で活用されるようになったのは15世紀頃である。レオナルド・ダ・ヴィンチは科学研究などを書き残したアトランティコ手稿(Codex Atlanticus)の中でカメラ・オブスクラを描いている。16世紀には鏡やレンズがカメラ・オブスクラに使用されるようになり、携帯型カメラボックスの開発も始まった。ドイツ・ヴュルツブルクのイエズス会士ヨハン・ツァーン(Johann Zahn)は1685年に著書『Oculus Artificialis Teledioptricus Sive Telescopium』を出版し、カメラ・オブスクラとマジック・ランタン(幻燈機)の記述や図解やスケッチを残した。

17世紀オランダの巨匠たち(ヨハネス・フェルメールら)は、細部への優れた観察力で知られている。彼らはこうしたカメラを使用したと推測されているが、この時期の画家たちがどの程度カメラを利用したかについてはさまざまな議論がある(カメラの使用に否定的な意見もある)。


初期のカメラ・オブスクラは巨大であり、中を暗くした大きな部屋や大きなテントでできていた。これらは太陽黒点や日食など太陽の観測にも使われ、16世紀から17世紀前半の天体物理学者ヨハネス・ケプラーが天体観測に用いたものもこうしたテント型のカメラである。18世紀頃までに、ロバート・ボイルやロバート・フックらの研究開発により持参できる小型のカメラが生産された。こうした小型カメラ・オブスクラは、旅行先のスケッチをしようとするアマチュアの絵画愛好家らによって利用されたが、ポール・サンドビー、カナレット、ジョシュア・レノルズといったプロの画家たちも利用し、ロンドンのサイエンス・ミュージアムにこうした画家が使ったとされるカメラが展示されている。

この小型カメラ・オブスクラは、1830年代に入りルイ・ジャック・マンデ・ダゲールやウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットらが最初の写真機を作る際に利用されている。

カメラ・オブスクラ


カメラ・オブスクラ(camera obscura、camerae obscurae、ラテン語で「暗い部屋」の意味。カメラ・オブスキュラ、カメラ・オブスクーラとも)は、素描を描くために使われた光学装置のこと。写真術発明にあたり重要な役割を果たした装置で、写真撮影用の機械を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来する。